この前、箱庭諸島 GSの参加者に「親に掲示板に参加することを止められている」という人がいることを知りました。
掲示板での意見に支えられていると言っても過言ではない箱庭GSにとって、これは結構大きな問題だと思っています。
このサイトに来る人の中には、小学生・中学生など学生の人も多いのではないかと思いますが、そういう人の中にもインターネットでウェブページを閲覧していると親が良い目で見なかったり、親に掲示板・チャットへの参加を止められていたりしている人は結構いるのではないでしょうか。
インターネットが好きではない人も、先入観を持たずに、純粋な気持ちで読んでいただければと思います。
では、なぜインターネットを良く思わなかったり、掲示板・チャットを良く思わなかったりするのでしょうか。
その根底には、「インターネットは危険」という考えが働いています。
しかし、僕は彼らが思うほどインターネットが危険だとは思っていません。
では、何故彼らはインターネットが危険だと考えるのでしょうか。
それを考えるために、まず、インターネットを使ってすることは何かということを考えてみましょう。今問題にした掲示板・チャットの他に、現在(2011年)ではtwitter(ツイッター)なども話題になっています。また、自身のWebサイト(テレビなどではホームページと呼ばれることもありますがこれは間違った言い方です)を持つということも考えられるでしょう。
これらはいずれも、コミュニケーションの道具であるという点で共通しています。つまり、「インターネットは危険」というのは、「インターネットでコミュニケーションをとることが危険」という思いが根底にあると考えられます。
まず、インターネットによるコミュニケーションは危険という主張をするときによく挙げられる理由が「文字でのやりとりなので、相手の表情が分からない」といったものです。しかし、僕はこれはあまり問題にならないと考えます。
文字のみで情報を伝えるということは、視点を変えると長所であるともいえます。現実に話すときの言葉が「話し言葉」であるのに対し、ネット上で話す言葉は基本的に「書き言葉」です。
書き言葉においては、情報が文字しかなく、また、推敲する時間が話し言葉に比べて多少あるので、聞く側は文字から多くの情報を読み取ろうと、話す側は、なるべく自分の意思を文字に乗せて伝えようとします。文字だけで、案外多くの情報を伝えられるものです。
結果、相手がどんな気持ちで言葉を並べているのか、どんな表情をしているのか、それなりに分かるものです。逆に、ここで相手の気持ちをほとんど読み取ることができず問題ばかり起こす人は、まだインターネットをするには早かったともいえます。
つまり、ここで1つ言いたいのは、インターネットでコミュニケーションをとる能力が無いならそれは自分のせいであり、インターネットにその責任をなすり付けるのは筋違いであるということです。
逆に、そういった能力があればインターネットでコミュニケーションをとってもいいのではないかということです。しかし、いったいいつ・何歳になればインターネットでコミュニケーションを取ってもいいのかということは一概には言えません。個人差があるからです。
「インターネットの低年齢化」と言われますが、実際、小学生とか、低年齢でもインターネットを使う人が出てきたのは事実です。そして、何か問題を起こしたりしているのも事実でしょう。ただ、問題を起こすのは、問題を起こさずにインターネットを利用する能力が無かったからであり、年齢が低かったからではないのです。
言いたいことは、もちろん一般に年齢が低ければそういった能力も低いと考えられますが、前述の個人差により、年齢だけでは決められない場合もあるということです。親がインターネットの利用を制限するということは当然子供であり年齢は低いわけですから、年齢が低いという理由だけでインターネットの利用を制限することも行われているのではないでしょうか。やめましょう。
また、相手の表情が分からないことにより「トラブルが起こる」とよく言いますが、一体何を「トラブル」と言っているのでしょうか。実際、多くの人が騒いではやし立てるような「トラブル」の正体はネット上の口喧嘩であることがほとんどです。これを理由にインターネットは危険だと叫ぶのは、子供が友達と多少口喧嘩したくらいで近所を大声で叫びながら文句言って回るようなものです。
また、良く「ネット上のトラブル元でいじめ発生」とかのニュースを聞きますが、これは「インターネットは危険」と主張する理由にはなりません。なぜなら、ネット上のトラブルが元でいじめが起きるのは、当事者が同じ学校に通っているなど知り合いの時のみだからです。当たり前のことですが、これを見失っている人は案外多いです。また、こういういじめに発展するようなことが起きるのは、大抵内輪でのグループの中です。これは、インターネット上でこそありますが、外部とつながっていないので本来インターネットが根本的な原因であるとはいえないでしょう。
ただ、インターネットを利用したいじめというのは、それ以前のものより陰湿であると言われます。しかし、インターネットそのものが陰湿なコミュニティであるとは思われたくありません。陰湿な人がインターネットを使っていじめを行うとき、陰湿ないじめとなるのです。この場合、前述のように、いじめを行う人にはインターネットを使いこなす能力が無かったといえるでしょう。それなら、(いじめをする側の)利用を制限しても構わないでしょう。
では、ネット上の口喧嘩の相手が知り合いでなくて、見ず知らずの人だった場合はどうなるのでしょう。ほとんどの場合、そのまま好きなだけ言い合って終わってしまいます。めったにありませんが、もし仮にそこで自宅に嫌がらせが来るなど本当の意味でのトラブルに発展した場合は、喧嘩相手はただの喧嘩っ早い人ではなくもっと危険な人だったということです。この危険な人というのは、現実で例えると強盗犯とか殺人鬼のようなものです。貴方が誰かと喧嘩した後、その人が後で包丁持って家に押し入ってくるような状況です。「そんな人と喧嘩する機会があるような環境に問題がある」なんて言ってもどうしようもありませんよね。もちろん、喧嘩になるような状況を積極的に避けるのが望ましいでしょう。
そもそも、インターネット上でのトラブルが、自宅への嫌がらせという現実の舞台持ち込まれるというのは大変なことです。ほぼ全ての場合、このような本当の意味でのトラブルには嫌がらせを受けるほうにも原因があります。
その原因には、個人情報という言葉が出てきます。これもよく叫ばれることですが、このような事件が起こるのは、個人情報が漏れてしまったからです。そして、ほぼ全ての場合、漏らしてしまった側に原因があります。うっかり個人情報をどこかに書きこんでしまったとかです。そして、このようなミスをしてしまうのは、前述の問題を起こさずにインターネットを利用する能力が不足していたからです。
今インターネット上のことを現実で例えましたが、掲示板・チャットを初めとするコミュニティを現実に例えてみましょう。
これらはつまり、簡単に言うと交流の場です。小学生・中学生などにとっては、交流の場といえば学校です。しかし、もちろん掲示板やチャットで何かを勉強するわけではありません。ここで「掲示板やチャットで勉強が出来るのか」と言いたくなった人、(社会勉強ならできることもあるでしょうが、)それは屁理屈です。僕が言いたいのは、学校は友達と交流が出来る場であるということです。
友達と交流をするためには、まず友達を作ることが必要です。学校の友達も、最初はただの知らない人だったわけです。掲示板・チャットでも同じことです。話す相手が居なければ参加する意味もありません。貴方は自分の子供に「学校で友達を作ってはいけません」と言いますか?極稀に言う人もいるかもしれませんが、僕はそんなごく一部の人を相手にしているわけではありません。一般的にはそんなことは言いません。こういうコミュニティの中で友達だったり、仲のいい人を作ろうとするのは自然のことです。
「学校なら共同生活をするわけだから友達を作るのは当然であるが、掲示板・チャットにはそういった繋がりは何もないから学校の友達とは違うだろう」という人もいるかもしれません。しかし、別に掲示板・チャットにいる人と全く気が合わない状態からスタートしろと言っているわけではないのです。
そもそも、世の中にはこういったコミュニティが大量にあります。全てのコミュニティに参加する義務があるわけではありません。興味を持ったコミュニティに参加すればいいのです。つまり、同じことが好きであったり、同じ考え方をしていたりとか、そういうグループに入りたければ入ればいいのです。これなら、共通の話題があるわけですから、友達(=コミュニケーションをとる相手)を作ることは、(前述のインターネットでコミュニケーションをとる能力があれば)難しいことではないでしょう。
そして、友達ができたら会話をしたり、遊んだりします。これをしなければ、なかなか友達とは言えません。これこそがコミュニティで話すことです。また、学校では誰かと口喧嘩くらいするかもしれません。これも自然なことです。これがネット上の口喧嘩です。学校で誰かと喧嘩したくらいでそれを「トラブルだ、トラブルだ」といってはやし立てますか?普通はしないはずです。ただ、最近(2010年現在)は「モンスターペアレント」などと呼ばれる、理不尽なことをいう親がいたりもします。あなたがそうなら、いちいちはやし立てるかもしれませんが、世間一般には認められません。やっかいな変な人です。
さて、この口喧嘩が殴り合いの喧嘩になったとしたら、これはインターネット上においても口喧嘩とはまた違うものです。もちろん実際に殴り合いをするというわけではありません。ここまでになると、本当の意味でのトラブルに近くなってきます。
また「掲示板とかにいる人は礼儀がなっていない」などと考える人もいるらしいですが、それは偏見だと考えます。これも学校に例えると、その状態は校則が無かったり、ほとんどの人が校則を守らない状態です。確かに世の中の全ての人がいい人というわけではなく、実際に礼儀がなっていない人も存在します。しかし、それも学校によくいる「不良」などと同じようなものです。そういう人は嫌われるし、自然に淘汰されていくでしょう。
また、悪い部分だけよく目立つという点でも似ているといえます。しかし、極端にひどい場合などを除いて、「学校には不良がいるから行ってはいけません」という親はいないでしょう。学校とは、教育を受けることができ、また前述のように交流の場でもある、素晴らしい場所です。それを、ただ不良が居るという汚点があるだけで、全く否定するのは間違いです。不良がひどければ、退学させる(コミュニティから追放する)こともできることでしょう。
このように、インターネットでも現実と同じようにある程度の秩序は守られています。本当に礼儀がなっていない人ばかりの掲示板やチャットなら、人々は集まらないし、離れていきます。逆に、礼儀の無い人ばかりが集まって目立ってしまうかもしれません。つまり、インターネット上においてもしっかりとマナーがあるということです。
ただし、この「ネット上のマナー」が現実世界のマナーと必ずしも同じとは限りません。インターネットについて深く知らない人は、現実世界のマナーを基準にした主観的な見方をしてしまい、誤解してしまいます。これが偏見だというのです。
ただし、この「ネット上のマナー」も掲示板だったりサイトだったりによって多少違っています。
ネット上のマナーが現実世界のマナーと違うことの分かりやすい例として、敬語を使うことに関することが挙げられます。現実では、敬語を使うというのは僕の知る限り基本的かつ一般的なマナーです。
しかし、インターネット上では、必ずしもそうではありません(もちろんそうである掲示板などもあります)。堅苦しいなどの理由から、掲示板の参加者相手に敬語を使わなくても、失礼ではない場合もあるのです。これは、学校の友達といちいち敬語を使って話さないのと似ています。
ただし、インターネット上でコミュニケーションをとるのはそういった「友達」にあたる人だけではありません。例えば、あなたが何かのサービス(インターネットで利用できるツール)の恩恵をうけているとき、その提供者(サービスを作って運用している人)と会話するときは、互いに敬語になることでしょう。これもまた当然のマナーです。こういったことがしっかりと分かるようになれば、「インターネットでコミュニケーションをとる能力」が身についてきたといえるでしょう。
また、一時期掲示板で殺人予告をして逮捕されたなどの事件が話題になりました。確かに舞台は掲示板です。しかし、このことでインターネット・掲示板を執拗に攻め立てるのは筋違いであると考えます。実際、この人がインターネット上ではなく町のあちこちに殺人予告の張り紙を張ったとしてもこの人はいずれ逮捕されていたでしょう。確かに町内で騒ぐよりはインターネットを使ったほうがはるかに広い範囲に影響を及ぼすことができますが、単にそれを見て「ああ、馬鹿な人だ」と思う人が増えるというだけです。そもそもこのように、インターネット上での殺人予告は現実のそれと比べて手軽であるが故に信憑性は低いですね。こういった都合のいいときにだけ「インターネット上の情報は信憑性が低い場合がある」ということを見逃している人もいるのではないでしょうか。
町で人を殺して回る代わりに、インターネットを使って日本中の人を殺して回ることはできません。所詮その程度のものです。
また、ここでインターネット上の情報の信憑性という話が出てきました。インターネット上には誰でも情報を載せられますが、その情報の信憑性は高いとは言えません(今の時代、テレビの情報の信憑性が高いかどうかも疑わしので相対的にはどうなのでしょうか)。
ここで、情報の取捨選択という話が出てきます。情報が正しいか正しくないかは自分で判断しろということです。
また、インターネット上でのコミュニケーションという話でいえば、友達との会話が嘘で塗り固められているということも、最初から悪意の友達でない限り(そういう場合には注意が必要ですね)無いでしょう。基本的にコミュニケーションは楽しくてやるものですから、嘘で塗り固められた会話をしたとしても楽しくないだろうということです。
それに、インターネット上で情報を発表する目的の1つして、反響を得るということが挙げられます。情報といっても、本当かどうか確認を取ることができるものも多いですから、嘘などついていては暴かれてしまい反響など得られません。
このようなことから、本格的な調べ物をするのではない限り、コミュニケーションをとる分には情報の信憑性という話はあまり深刻な問題として出てこないということになります。
まとめとして、僕は「インターネットは絶対安全だ」と主張しているわけではありません。どんな物でも使う人によって危険にはなります。しかし、インターネットを使って他人の生活を脅かすような危害を加えることは、素人にはできません。
また、インターネット上でコミュニケーションをとる能力という話が何度も出てきましたが、これが不足していると、個人情報が漏洩するなど危険な目にあうこともあるかもしれません。
しかし、これが年齢とは関係ないという話は前にしました。つまり、年齢に関わらず、そういった能力があればインターネットの利用を制限されるべきではないということです。
よくニュースで見る殺人事件を考えて下さい。家から包丁を持ってきて振り回せば、誰にでも(乳幼児や幼児など屁理屈的な場合を除いて)殺人を犯したり、人に怪我を負わせることができるわけです。また、盗撮というのも分かりやすい例です。ビデオカメラさえあれば誰にでもできるわけですから。他にもたくさんあると思いますが、包丁やビデオカメラはあると生活する上で便利になります。特に、包丁などが無ければ料理をすることもできません。同じように、インターネットもあると生活が便利になります。安全に使う方法もあるというのに、インターネットだけを区別して認めないのはおかしいと思いませんか?僕はおかしいと思っています。
次に、補足程度にインターネットそのものの危険性について話していきます。ここまでは全てインターネット上でのコミュニケーションに関する危険性の話でした。
インターネットというのは、そもそもデータをやりとりするものです。インターネットでウェブページを見る仕組みは、ウェブページが入っているサーバーというコンピューターから、見たいページのデータを送ってもらうでそのページを見ることができるというものです。
つまり、ウェブページを見る以外の目的でもデータの通信を行うことができるということです。これは、例えばメールなどにも使われています。
どういうことかというと、パソコンに悪意のあるソフトウェア(いわゆるコンピューターウィルス)を仕込めば個人情報などをパソコンからインターネットに流出させることができるわけです。
これを聞くと危険だと思われるかもしれませんが、もちろん対抗するソフトも出来ています。つまりセキュリティソフトです。逆に言うと、これがあるとそれなりに安全なわけです。100%安全というわけでもありませんが、家を厳重に戸締りするのと同じくらいかそれ以上に安全だと考えられます。
多くの人が冬になるとインフルエンザの予防接種を受けに行ったりしますが、このセキュリティソフトはまさにそれです。予防接種を受けておけば、インフルエンザにかからなかったり、かかっても症状が軽くなったりします。だから、皆さんはある程度予防接種を信頼しています。同じように、セキュリティソフトも信頼できるはずです。
具体的に、このセキュリティソフトは謎のソフトがパソコンからデータを送信するのを防いだり、知らぬ間にパソコンの中に入っているウィルスを駆除したりします。基本的にパソコン通信では、相手がデータを受け取るためには、データを持っている側が相手にデータを送信しなければいけません。しかし、実際にデータを送信するのは使う人ではなくパソコン本体なので、ウィルスは使う人の意思を無視して勝手にデータを送信します。個人情報なんかも流出させるには、(前述の人為的なミスを除いて)これしかありません。つまり、これさえ断ってしまえばかなり安全というわけです。
さて、あなたはインターネットが危険だと思いますか?僕の答えは「注意して使えば危険ではない」です。今、インターネット上で詐欺だったり色々な事件がおきていますが、被害者側の不手際がまったく無いケースはほとんどありません。つまり、インターネットで起きる事件は、被害者側にも多少原因がある場合がほとんどであるということです。もちろん、悪いのは犯人です。ただ、家に鍵をかけたりするのと同じように、注意していれば基本的に安心していていいわけです。
この僕の主張に、今までインターネットを良い目で見られなかった人に少しでも納得してもらえると嬉しいです。